見付の町を救った、勇気ある犬の物語
この伝説は、見付の町を怪物から救った勇気ある犬の物語です。
見付天神 矢奈比賣神社の大祭は、見付天神裸祭といって、腰蓑を着けた男達によって毎年盛大に行われています。しかしながら、昔は泣き祭りといって、人身御供(ひとみごくう)が行われていたと伝えられています。
白羽の矢
遠い昔のお話です。
見付の里では、毎年8月の初めになると、どこからともなく飛んで来た「白羽の矢」が、ある家の屋根に突き刺さっていました。矢を立てられた家は年番といいました。年番では、その家の娘を生きたまま柩 (ひつぎ)に入れて、8月10日の真夜中に見付天神へお供えする、悲しい「しきたり」がありました。
※人身御供(ひとみごくう)=人間をお供えすること ※柩(ひつぎ)=白木でできた箱 ※しきたり=習慣・ならわし
悲しい泣き祭り
里人たちは、今年も泣く泣く娘を白木の柩に入れて、皆でかついで神社に向かいます。一点の明かりも見えない真っ暗な山道を進み、柩を社前に降ろしたら一目散に逃げ帰ります。しばらくすると天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ、大きな声をあげて柩をかき破り、ついに娘を食い殺してしまいます。
このような悲しいできごとが、毎年繰り返されていたのです。
怪神の正体
ある年(延慶年間)に、雲水(旅の僧)が見付の宿へ通りかかりました。ところが、お祭りで楽しいはずの里人たちが、皆とても悲しそうな顔をしています。不思議に思った雲水が話を聞いたところ、この泣き祭りのことを知りました。雲水は、「見付の神様が、そんなことをするはずがない。」と思い、何とか里人を助けたいと考えました。そこで祭の夜にこっそり神社の様子をうかがいに行きました。
夜中になり、地響きととも現れたのは、神ではなく見るも恐ろしい妖怪でした。
「信濃の国の悉平太郎に知らせるな。今宵今晩このことは、悉平太郎に知らせるな」
どうやら妖怪は、信濃(長野県)の悉平太郎(しっぺいたろう)を怖がっている様子でした。
一路 信州へ
これを聞いた雲水は、悉平太郎を探す旅に出ました。
信濃の国へ行って「悉平太郎」という人を探しますが、どうにもわかりません。更に根気よく探していると、それは光前寺に飼われている、たくましい犬だということがわかりました。
さっそく住職に会って事情を話し、悉平太郎を借り受けたいとお願いをしたところ、こころよく承諾してくれました。
雲水は悉平太郎と共に見付へと急ぎ帰りました。
※光前寺=長野県駒ヶ根市にある寺
再び見付
雲水たちが見付に帰ってくると、次の年の8月になっていました。
今年も年番の屋根に白羽の矢が立っています。雲水はじめ里人たちは、娘の代わりに悉平太郎を柩に入れることにしました。
里人達は、例年のように神社の前へ置いて早々に帰りました。
悉平太郎の活躍
やがて山内鳴動して、妖怪が現われました。妖怪がバリバリと柩を破るやいなや、中にいた悉平太郎は猛然ととび出して、妖怪に襲いかかりました。
悉平太郎と妖怪の格闘の響き声が、見付の里まで聞こえてきました。長い長い闘いの末、ようやく静かになりました。
※山内鳴動(さんないめいどう)=山の方での地ひびき
激しい戦いの後
次の日、里人が、恐る恐る神社へ来てみると、年経た狒々(ひひ)が血まみれで巨体を横たえていました。周囲を見回すと、いかにものすごい闘いであったかを示すように、いろいろなものが散乱していました。それは目をおおうようなありさまでした。その横では悉平太郎がケガをしていましたが、幸いにも生きていました。とうとう悉平太郎が妖怪を退治したのでした。
見付の里人は、悉平太郎の立派な働きぶりに心から感謝し、大般若経六百巻を書き写して光前寺へ奉納しました。
諸説
磐田では「悉平太郎」と呼んでいますが、駒ヶ根地方では早太郎、又は疾風太郎とも呼ばれています。
この伝説には、後日談がたくさん残っています。一説では、重傷を負いこの地に倒れたので人々は、見付天神横へ山神として祀ったともいいます。又、秋葉街道犬居、阿多古大宮付近にて力尽きたという話もあります。
駒ヶ根市の光前寺では「霊犬早太郎の碑」があって、無事帰山したものという話が伝わっています。
語り継がれる伝説
見付天神参道の赤鳥居の横には、霊犬悉平太郎像が建っており、今でもその物語を伝えています。
また、悉平太郎は、見付を救った神様として霊犬神社にお祀りされています。
霊犬神社は、つつじ公園の中に鎮座して、いつまでも皆さんを見守ってくれるでしょう。
妖怪を退治したことから、危難よけ・災よけの神様として昔から信仰されてきましたが、近年ではペットの健康祈願にも御利益があると多くの参拝者で賑わっています。
イラスト・・・Ninosathes