地の神様 「身近な年中行事」静岡県神社庁

 ここでは、静岡県神社庁が発行した「身近な年中行事」~家庭祭祀の振興~(平成10年6月10日発行)に記載されている「地の神様」についての記述を転載します。

以下、転載

 「地の神様」は主として県下の中部や西部で各戸毎に祀られている屋敷神である。

 この神様は一般に屋敷内の目立たない所に祀られており、駿河あたりは小さな石の祠に祀られている所が多いし、遠州では決められた場所に、毎年新しく竹の柱にワラで屋根をふいた簡素な祠を作って祀る所、小さな木の祠に祀る所など、地域によってそれぞれ特徴がある。

地の神の新祠とカケノウオ、ワラヅト

 一般に「地の神様」の祭祀場は、屋敷内の西北の隅や北側で、いわば家の裏から母屋や屋敷を守ってもらう形が多い。これは巽の方(東南)から宝がはいってきて、乾(西北)におさまるという信仰によるものだとも言われている。地の神の傍に木を植えるのもその依り代のためであろう。

 又、大井川以西の遠州地域では「地の神様」のことを「オシャガミサマ」と称している所が多い。これはお祭りのあとで家の人が、祠の前でお供物をしゃがんでいただくからだといわれているが、あるいは又、信州から伝わってきた古い土俗神の「オシャモッツァン」などと関係があるのかもしれない。

地の神 石祠とカケノウオ、ワラヅト

 ここで注意したいのは、仏教の家でも三十三回忌又は五十回忌の折には、ウレツキ塔婆といって、葉のついた生の木を削った塔婆を立てて、これからは「地の神様」になるからもうお年忌はやらないという信仰がかなり広く信じられていることである。

 又、磐田北部では、屋敷を作った人、つまり先祖にあたる人の骨を分骨して祀ったものだとの伝えもあり、本家のみに祀られる例もある。駿河あたりでも、分家した者が一人前になったら「地の神様」を分霊して祀らせるという家もある。又、駿遠の山間部では「同族神」つまり一族の開発先祖を地の神様として祀っている所もある。浜名湖北岸では一門ごとの地の神様を祀ってある所もあり、又、各戸ごとの地の神様の他に一統ごとの地の神様を祀るところもある。

ウレツキ塔婆

 こうしてみると「地の神様」は、昇華した古い古い祖先の御魂が、その家の土地の神屋敷の神として鎮まっておられるものだと考えられる。地の神信仰をささえてきた一面には、今に変らぬ土地、屋敷に対する愛着があったことと思われるが、それ以上に祖霊に対する畏敬と親近の情がその根底にあったことがしのばれる。

 だからこそ、「地の神様」は十一月一日に出雲にお立ちになって、縁結やその他のことをお決めになって、十二月十五日にお帰りになり、家族の祭りを受けられるのであり、又祟るとこわいが、家の中のことは何でも知っていて、特別お願いしなくても守って下さると信じられているのだろう。

 祭り方について特筆すべきことは、御前崎あたりでは十二月十五日、浜から砂をとってきて古い祠をこわした後に敷き、竹の柱にワラで屋根をふき、中にはお供物を入れる小鉢状や舟形のツト(ワラの器)を置き、赤飯やナマスを入れ、二匹の魚を腹合わせにしてしばったカケノイオ(掛けの魚)と共に供えて祭ることである。いわば毎年の遷宮の形であり、簡素ではあるが毎年新しい祠を建てるのが生きている人間の務めだといっている。こういう伝統は尊いものであり、絶えることなく続けてゆきたいものである。

 又、安倍川流域の山間部では、祭場に植えたタマの木や杉の木の古木を地の神とよんでいるし、遠州海岸部では自然石を地の神の神体として祀っている所もある。いずれも自然の依代であり、古代祭祀の姿を残している。

 「地の神様」を「大地主神」と称するむきもあるが、この場合、古語拾遺にだけ出てくる「大地主神」という神名にこだわることなく、「○○家の地の神」と称した方が自然であり、古い姿なのではなかろうか。

 因に志太支部では、石やブロックの祠が多いので、「地之神神璽」というおふだと御幣を毎年頒布している。

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